未分類

2019.5.3 祖母の死のメッセージ

長い10連休も今日が最終日となりました。

皆さんはどんなGWでしたか?

私にとっては大きな転換となるような出来事が起こりました。

 

5月3日に祖母が永眠しました。

82歳でした。

 

昨日葬儀が終わり熊本に戻ってきて

今、ただただ感じているのは、祖母と過ごした思い出、

そして同時に祖母に対する感謝の想い。

 

シングルマザーで忙しかった母と私と妹にとって

かけがえのない存在だった祖母。

 

「悲しみ」は無いと言うとウソになります。

けれど、この祖母の死は、悲しみ以上に私にとって大きな区切りであり

大きな意味があることを実感しています。

 

なぜなら祖母からの「メッセージ」を

私ははっきり受け取ることができ、

今までの苦悩や気にかかっていたことの答えが

はっきりと分かったからです。

 

今は本当に温かい穏やかな気持ちで胸がいっぱいです。

 

 

今回感じたことを記録しておこうと思います

 

**********************************************

 

令和元年の初日の5月1日

 

この日は私は仕事で

ダイヤリー講座が終わったのが夕方。

 

もともと3日から息子が大分市内でサッカーの試合・遠征があるので

3日に応援も兼ねて実家に戻る予定だったのが、

大分市内の施設にいる祖母の容態が悪化していると母から連絡を受け、

チームのコーチに事情を伝え一足先に息子を連れて1日の夜に帰省。

 

祖母のもとへ向かうとちょうど私たちが部屋に入る数分前に、

危篤状態で3日間目を開けなかった祖母が目を覚ましたと聞き。

 

急いで部屋に入ると息苦しそうに横たわる祖母がかすかに目を開けている。

「ばあちゃん、ちえみ来たよ!!

わかる?みんなで熊本からきたよ!!

ばあちゃんがんばってるなあ!!」

 

そう伝えて手を握ると、朦朧としていた祖母は

私のことを認識したのか目をしっかり見開いて

みるみると表情がくしゃくしゃになった。

左目からは涙が流れていた。

 

何か必死に伝えようと口を動かしているけど、言葉は出ない。

握りしめた祖母の手が私の手を強く握り返した。

腎臓の機能が低下し、右手は浮腫でパンパンに腫れている。

そんな状態にも関わらず、痛いほど力強く握り返してくれた。

 

3日ぶりに目を覚ましたと思えない力強い祖母の姿に、まわりにいた母や親族は驚いていた。

本当に奇跡的なタイミングだった。

この時祖母に会いに行くことができて本当に良かった。

それから目を覚ますことは無く、

二日後、祖母は息を引き取った。

 

亡くなったのは5月3日だった。

この日の意味を知らなかったら、私はきっと

ただ悲しみに暮れていただけかも知れない。

 

 

マヤの暦で見ると、この5月3日はkin190の日。

そして不思議なことに祖母の年回りのナンバーもちょうどkin190が回っていたのです。

 

これはちょっとどういうことか伝わりにくいかも知れませんが、、、、

つまり年回りのナンバー(一年間自分に回るエネルギーで、誕生日ごとに変わる)と、

同じナンバーが回ってくる日(毎日キンは一つずつ進んでいきます。今日ならkin193,明日はkin194といった感じです)

は何らかの気づきやメッセージがあると言われています。

実際、過去にもその日は数々のシンクロがあり、何度も感動体験をしました。

 

だから祖母の年回りのナンバーと、日々巡ってくるナンバーが同じである190の日は

何かしらの事象やメッセージがあるかも知れない、

そこまでの予測はしてはいた。

だけど本当にその日に命の終わりを迎えただなんて・・・・。

 

しかも、これだけでも人智を超えているというのに、更に驚くことが。

なんと、この190というナンバーは、母のキンナンバーでもあるのです。

 

つまり祖母は、

母のキンナンバーが回っている年の、

母のキンナンバーが回っている日に

あの世へ旅立った、ということ。

なのです。

 

偶然とは思えないほどのシンクロニシティ。

この壮大さをどう表現し、解釈すれば良いのだろう。

 

一体このことが意味することは何なのか?

考えても考えても答えは一つしかない。

 

それは間違いなく祖母の娘(母)に対する愛。

そう受け取った時、感謝の気持ちが湧いてきて、

涙が溢れて止まりませんでした。

 

祖父母と母と私たち姉妹が暮らしてきた故郷。

母がもう一度ここで祖母と生活を共にすることは

お互い願っていたにも関わらず最期まで叶うことはなかった。

 

祖母は自己主張が苦手で強がりで、でも本当は寂しがり屋で。

 

結局色んな理由があって住み慣れた田舎の地を離れ、都会暮らしをすることになった祖母。

 

これは私にとって生まれ育った故郷がなくなってしまうことを意味していた。

 

どうしてこんな形になってしまったの?

一体誰のせい?

 

それぞれにわだかまりや苦悩がずっとあった。

私も随分とそこにエネルギーを消耗してきたと思う。

 

それでも分かっていたのは、祖母は離れていてもいつも私たちのことを気にかけていたということ。

本当は長年過ごした自然に囲まれた土地で、大好きな畑仕事をしながら余生を過ごしたかったのではないか?

祖母は最期まで自分の本音を口にすることは無かったけど

私はそう感じていた。

 

だから祖母の最期が

母のキンナンバーの年回りで

母のキンナンバーが回っている日だったことは

 

祖母の母に対しての愛情の表れであり

母への感謝や、伝えたいことや謝りたいこと、

きっと様々な思いがあったのだろうなあと。

 

そう思わずにはいられないのです。

それ以外の解釈が思い浮かばない。

 

疑ったり憎んだり、色んな感情で揺れていたけど、

これが祖母の答えなのだと思うと、やっと祖母に対して温かい気持ちになって

溢れる涙を抑えることができませんでした。

 

祖母が遺してくれたギフトは壮大な愛だった。

やっぱりこの世には愛しか存在しない。

宇宙は全て知っていて、優しくて、

辛い時も、上手くいっていない時も、

いつも見守っていてくれる。

 

ただ目の前の起こった現象に振り回されているだけでは到底気付けなかった。

いつも奇跡は身近にあって、日常は愛に溢れている。

 

何となく感じることや、直感、感情や意識などの見えないモノ・・・

そこにどれだけ多大な幸せのカギが潜んでいるのか。

 

そこを感じられるかどうかで、結局幸せは決まる。

だから幸せになるかどうかは、自分が選べるし、

自分で決めて良いんだよ。

 

宇宙はいつも大切なことを教えてくれている

宇宙の采配は一寸の狂いもなく完璧なのだということ。

今回はっきりと感じました。

 

 

そして死というものは終わりではない。魂が元にいた場所に還るだけ。

肉体は存在しなくても魂は消えない。

 

お別れの儀の時、棺に花を入れながら、もう祖母がそこに居ないことを

はっきりと感じてしまいました。

ああ良かった。

やっと、やっと自由になったね。

 

故郷は無くなっても

家は無くなっても

思い出は消えない。

ずっと私の中で生き続けている。

いつだって褪せることは無い。

 

もうそこの執着で苦しむ自分はもうおしまい。

 

私は祖父母の愛をすごく感じることができた。

そして今、母と父の愛もすごく感じることができている。

 

受け継いだ命を大切に生き抜きたい。

これから幸せになることに向き合うんだと。

そう誓いながらお別れしました。

 

ばあちゃん、ありがとう。

これからも私たちを見守っていてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です